京大生からみる昆虫食。
こんにちは、どうもUと申します。
1週間全裸生活を終えて
今は昆虫食1週間生活を営もうとしている大学生です。
私は紆余曲折あって昆虫食生活を始めることにした。
(詳しくは以下の記事をご覧ください!)
昆虫食生活を始める前に
昆虫食をまだ実際に食べたことがない私が
昆虫食についてのイメージ、考えを述べていこうと思う。
(1週間昆虫食生活を終えた後には『京大生からみた昆虫食。』をだします。また比較してみてください!)
〈目次〉
昆虫食の値段が高すぎるワケとは! ?
今回昆虫食生活を準備していて一番衝撃的であったのは
その値段である。
(詳しくは上の記事をご覧ください。)
成人男性として健康的な生活を営むためには
1日9万円の食費
がかかってしまう。
食糧難を救う救世主として有名な昆虫食の実情は
富裕層しか手の届かない高級食材であった。
なぜ昆虫食がこんなにも高値であるのか。
その答えは昆虫食の需要が低いからである。
では、なぜ需要が低いと、値段が高くなるのかを見ていこう。
食糧難を解決する存在を担うための、昆虫食の本来の需要は
→大量生産可能な安価な食料
それに対して、残念ながらいまの需要
→テレビや企画などでゲテモノとして食べるもの
と、大きなギャップが存在している。
このように見てみると
昆虫食の本来の理想の需要に比べて
いまの社会での需要は圧倒的に低いことがわかる。
いくらyoutuberが多い時代と言っても、ゲテモノとしての需要は微々たるものである。
需要が低い=買ってくれる人が少ないために
一挙に昆虫食を大量生産することができない。
そうなると
(ものを作る際には、大量生産した方がコストがかからないことより)
1つ1つの値段が、どうしても高くなってしまうのである。
つまりいまの時点では昆虫食はあまりにも高級食材であるが
多くの人が購入すればするほど、値段は下がって行くのである。
私は、昆虫食を本来の理想の需要にするために
昆虫食の実情や味などを細かく記して
少ないバイト代から多くの昆虫食を買って
昆虫食業界への投資、いや、人類の未来への投資だと思って
ブログを書いていこうと思う。
昆虫食はゲテモノなのか?
残念ながらいまの社会においては
昆虫食の最も強い要素はゲテモノである。
しかし私はこれに関しては全く悲観していない。
社会全体の考え方、イメージが変化して浸透するには多くの時間を要するのだ。
ユニクロのイメージ変化
例えとして、ユニクロをあげてみよう。
ユニクロは今では、下火と言われているアパレル業界において
一人勝ちとも言われるほどの成功を収めている。
流行りを迅速な速度で取り入れて商品化できる生産体制や、福祉活動、ファストファッションの弱点であるデザイン性への対策などその成功の要因は多岐にわたる。
今ではそういった、最先端を走る、業界を牽引するイメージのあるブランドであるが、一昔前までのイメージは今とはかけ離れたものであった。
昔のユニクロのイメージ
→安さのあまり、ユニクロを着るのはダサい、お金がない
このイメージを変えた大きな要因として知られているのは、外国人有名モデルの起用による宣伝である。そうした宣伝を続け、ブランドのイメージを大きく徐々に変わっていった。
それには多くの時間とお金がかかったことが知られている。
このように社会全体のイメージを変えるのには、多大な時間が要されるものなのだ。
昆虫食はすでに『一般的な食料である』というイメージに塗り替えられる道を進み始めている。
その点で私は悲観していないのである。
メディアの恩恵と弊害
昆虫食が一般的に受けいられるようになるには、段階がいくつか存在していると考える。
①昆虫食というものが人々に認識される
②イメージがゲテモノから食料へと変わる
③他の食料と比較して選ばれるようになる
いまの社会は①の段階であると思う。
その段階に大きな貢献をしているのは、メディアの存在である。
最近では、多くの人々の目が集まるyoutubeやテレビで
その話題性から、昆虫食がよく取り上げられているのだ。
昆虫食の存在を知ることなく、食料として認められることはないので
これは大きな前進といえるであろう。
しかしやはり何事にも、光の部分と闇の部分があるものだ。
人々に認識されるというメディアの恩恵の代わりにえたのは
そのゲテモノというイメージである。
テレビでよく見る光景は、芸能人が大きな悲鳴をあげながら罰ゲームなどで昆虫食を食べるというものである。
それを見た人々には当然、昆虫食に対するイメージがゲテモノとして刷り込まれてしまうのだ。
これは虫を食べない文化を助長しかねない危険性を孕んでいる。
性的マイノリティーと昆虫食
これはそっくりそのままLGBTQなどの性的マイノリティーの話と共通点を見いだせる。
おかまの人が多くテレビに出始めた頃を思い出してほしい。
今では
性的マイノリティーを他の人々と同じように扱う考え方が根付いてきたものの
性的な議論がいまほど活発に行われていなかった時代には
人と違うという意味でおかまの人などはコンテンツとして扱われていた。
それこそ、ゲテモノ扱いである。
それがテレビに取り上げれるようになって、存在の認識は広まったものの
そのある種、差別的な扱いはメディアのイメージによって助長されてしまった時期があったのだ。
昆虫食もいま同じ道を進んでいるのかもしれない。
私はもっと賢くなりたい。
常識というのは、その時代や場所によって180度変わるものである。
このことは私たちはよく耳にする。
アフリカでは身に起こる災難は全て呪いのせいだとされている地域は今でもたくさん存在しているし、日本でもついこの間までは女性が働くことはよく思われていなかった。
このように
頭では理解してるつもりだが
実際自分が生きているこの時代に根強く蔓延ってる常識については疑うという行為さえしない。
私なりに20年間、幅広い知識を入れ。多様な価値観に触れてきたつもりであったが
それを全く運用できていないことに気づいたのである。
知識を入れるだけならば、よく言われているように本当にコンピュータでもできる。
その点では、人間よりも優秀である。
分析までしてくれる時代になっているのだ。
何を受け入れて何を受け入れないのか。
受け入れたものをどう繋げ、深めるのか。
情報の波、津波の中で上手に波に乗ることが求められているのだ。
最後まで読んでくださって有難う御座いました。
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