我が素晴らしき人生

「突然全裸生活」など刺激的な日々を提供いたします。

京大生からみる昆虫食。

こんにちは、どうもUと申します。

1週間全裸生活を終えて

今は昆虫食1週間生活を営もうとしている大学生です。

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昆虫食ってイメージ掴みにくいねとボヤく人


 私は紆余曲折あって昆虫食生活を始めることにした。

(詳しくは以下の記事をご覧ください!)

u-1999.hatenablog.com

 昆虫食生活を始める前に

 昆虫食をまだ実際に食べたことがない私が

昆虫食についてのイメージ、考えを述べていこうと思う。

 (1週間昆虫食生活を終えた後には『京大生からみた昆虫食。』をだします。また比較してみてください!)

 

〈目次〉

 

 昆虫食の値段が高すぎるワケとは! ?

今回昆虫食生活を準備していて一番衝撃的であったのは

その値段である。

u-1999.hatenablog.com

 (詳しくは上の記事をご覧ください。)

 

成人男性として健康的な生活を営むためには

1日9万円の食費

がかかってしまう。 

 

食糧難を救う救世主として有名な昆虫食の実情は

富裕層しか手の届かない高級食材であった。

 

なぜ昆虫食がこんなにも高値であるのか。

その答えは昆虫食の需要が低いからである。

 

では、なぜ需要が低いと、値段が高くなるのかを見ていこう。

 

食糧難を解決する存在を担うための、昆虫食の本来の需要

大量生産可能な安価な食料

それに対して、残念ながらいまの需要

テレビや企画などでゲテモノとして食べるもの

 

と、大きなギャップが存在している。

 

このように見てみると

昆虫食の本来の理想の需要に比べて

いまの社会での需要は圧倒的に低いことがわかる。

 

いくらyoutuberが多い時代と言っても、ゲテモノとしての需要は微々たるものである。

 

需要が低い=買ってくれる人が少ないために

一挙に昆虫食を大量生産することができない。

 

そうなると

(ものを作る際には、大量生産した方がコストがかからないことより)

1つ1つの値段が、どうしても高くなってしまうのである。

 

つまりいまの時点では昆虫食はあまりにも高級食材であるが

多くの人が購入すればするほど、値段は下がって行くのである。

 

私は、昆虫食を本来の理想の需要にするために

昆虫食の実情や味などを細かく記して

少ないバイト代から多くの昆虫食を買って

昆虫食業界への投資、いや、人類の未来への投資だと思って

ブログを書いていこうと思う。

 

昆虫食はゲテモノなのか?

残念ながらいまの社会においては

昆虫食の最も強い要素はゲテモノである。

 

しかし私はこれに関しては全く悲観していない。

 

社会全体の考え方、イメージが変化して浸透するには多くの時間を要するのだ。

 

ユニクロのイメージ変化

 例えとして、ユニクロをあげてみよう。

 

ユニクロは今では、下火と言われているアパレル業界において

一人勝ちとも言われるほどの成功を収めている。

 

流行りを迅速な速度で取り入れて商品化できる生産体制や、福祉活動、ファストファッションの弱点であるデザイン性への対策などその成功の要因は多岐にわたる。

 

今ではそういった、最先端を走る、業界を牽引するイメージのあるブランドであるが、一昔前までのイメージは今とはかけ離れたものであった。

 

昔のユニクロのイメージ

→安さのあまり、ユニクロを着るのはダサい、お金がない

 

このイメージを変えた大きな要因として知られているのは、外国人有名モデルの起用による宣伝である。そうした宣伝を続け、ブランドのイメージを大きく徐々に変わっていった。

 

それには多くの時間とお金がかかったことが知られている。

 

このように社会全体のイメージを変えるのには、多大な時間が要されるものなのだ。

 

昆虫食はすでに『一般的な食料である』というイメージに塗り替えられる道を進み始めている。

その点で私は悲観していないのである。 

 

メディアの恩恵と弊害

昆虫食が一般的に受けいられるようになるには、段階がいくつか存在していると考える。

 

①昆虫食というものが人々に認識される

②イメージがゲテモノから食料へと変わる

③他の食料と比較して選ばれるようになる

 

いまの社会は①の段階であると思う。

 

その段階に大きな貢献をしているのは、メディアの存在である。

最近では、多くの人々の目が集まるyoutubeやテレビで

その話題性から、昆虫食がよく取り上げられているのだ。

 

昆虫食の存在を知ることなく、食料として認められることはないので

これは大きな前進といえるであろう。

 

しかしやはり何事にも、光の部分と闇の部分があるものだ。

 

人々に認識されるというメディアの恩恵の代わりにえたのは

そのゲテモノというイメージである。

 

テレビでよく見る光景は、芸能人が大きな悲鳴をあげながら罰ゲームなどで昆虫食を食べるというものである。

それを見た人々には当然、昆虫食に対するイメージがゲテモノとして刷り込まれてしまうのだ。

これは虫を食べない文化を助長しかねない危険性を孕んでいる。

 

性的マイノリティーと昆虫食

 これはそっくりそのままLGBTQなどの性的マイノリティーの話と共通点を見いだせる。

 

おかまの人が多くテレビに出始めた頃を思い出してほしい。

 

今では

性的マイノリティーを他の人々と同じように扱う考え方が根付いてきたものの

性的な議論がいまほど活発に行われていなかった時代には

人と違うという意味でおかまの人などはコンテンツとして扱われていた。

 

それこそ、ゲテモノ扱いである。

 

それがテレビに取り上げれるようになって、存在の認識は広まったものの

そのある種、差別的な扱いはメディアのイメージによって助長されてしまった時期があったのだ。

 

昆虫食もいま同じ道を進んでいるのかもしれない。

 

  私はもっと賢くなりたい。

常識というのは、その時代や場所によって180度変わるものである。

このことは私たちはよく耳にする。

 

アフリカでは身に起こる災難は全て呪いのせいだとされている地域は今でもたくさん存在しているし、日本でもついこの間までは女性が働くことはよく思われていなかった。

 

このように

頭では理解してるつもりだが

実際自分が生きているこの時代に根強く蔓延ってる常識については疑うという行為さえしない。

 

私なりに20年間、幅広い知識を入れ。多様な価値観に触れてきたつもりであったが

それを全く運用できていないことに気づいたのである。

 

知識を入れるだけならば、よく言われているように本当にコンピュータでもできる

その点では、人間よりも優秀である。

分析までしてくれる時代になっているのだ。

 

何を受け入れて何を受け入れないのか。

受け入れたものをどう繋げ、深めるのか。

情報の波、津波の中で上手に波に乗ることが求められているのだ。

 

 

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u-1999.hatenablog.com

 ↑始めての記事

 



 

 

昆虫食生活〜準備編②〜

こんにちは、どうもUと申します。

1週間全裸生活を終えて

今は昆虫食1週間生活を営もうとしている大学生です。

 

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やめられない、止まらない昆虫食!?


今回は、1週間昆虫食生活

身の回りの準備

をしていきます。

 

(前回の昆虫の準備は以下からご覧ください!)

u-1999.hatenablog.com

 

身の周りの準備

 

昆虫食生活を始めるにあたって不安な点が2つある。

 1つ目は、友人との遊びである。

 

高校生の頃、私は大学生という幻想的な響きへの憧れから

『大学生になったら自由な時間とお金ができて、遊びが多様化する!』

 と思っていた。

 

しかし、いざ大学生になってみると

なるほど確かに、一人遊びは

美術館や動物園、水族館、旅行などと多様化したが

友人との遊びは、もっぱらお茶をしばくか、お酒を飲みにいくかに変わってしまった。

 

汚濁した水に太陽の煌めきを写し、裸足でザリガニを追いかけた、あの身体から溢れんばかりの高揚感。

汗ばむ制服で入った空調の効き過ぎたコンビニで、何度も小銭を数えて買ったあのアイスの甘酸っぱさ。

 

いつしかこういったものも、居酒屋の喧騒に消されてしまったのだ。

 

よって今では、友人との遊びには食事がつきものである。

 

いくら理解のある友人であったとしても

茶店に入ってコーヒーを頼み、鞄からイナゴやバッタを出して食べる客

は(今の社会では)モラル的にどうもいただけない。

 

対策として私は

先1週間の友人との予定を全て食事のいらないプランに変えてもらうことにした。

 

食事を軸に組まれていた遊びを、一度根本から見直すこと。

なんだかこれも、いまの大学生である自分の現状を見つめ直すきっかけになりそうだ。

 

 

2つ目は、バイトのまかない問題である。

 

私は至極最高の環境でバイトをさせていただいている。

時給も高く、生徒も素直で、美味しい料理までいただくことのできる家庭教師である。

 

しかし、今回においては、今回限りにおいては

それがアダとなってしまった。

 

一人暮らしをしている私の食生活は、目を覆いたくなるものである。

私にとっては、料理といえばコメを炊く事である。

 

醤油とお米で、1週間を乗り切るようなムードがここ7畳ほどの部屋には立ち込めている。

 

そんな私にとっては、週に1回のこの賄いの夕飯はなんとも言えない幸福感があった。

 

食べ物と同様に幸福を噛み締め、食事中でさえもお腹を鳴らしていた。

その几帳面そうにすらっと伸びたお箸は、私が持つと途端に妖刀のように光り

次から次へと食べ物を仕留めていくのであった。

 

 そんな私が昆虫食生活のために賄いがいらない要件を伝えなければいけないのだ。

 

おそらく、昆虫食生活に至る経緯や私の熱量を

余すところなく伝えることができれば、難なくこの関門は通過できるであろう。

 

しかし私は、自らの子供の家庭教師が

『昆虫食生活を始めるから、賄いいらないです。』

 

と言い始めたら、かなり気味が悪いと感じてしまう。 

 

それがとんでもない熱量で昆虫食生活について語られれば

その気持ちに拍車をかけることになるであろう。 

 

そこで対策として私は

まずは生徒に徐々に昆虫食生活の全貌を明かしていき理解をえるという得策を思いついた。

 

これなら、すんなり昆虫食生活に入ることができる予感がする。

 

親御さんも、自らの子供に当たり前のように昆虫食の存在を語られては

『あら、若い子の間では虫を食べるのが流行っているのね』

となるはずだ。

 

 

 

 

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u-1999.hatenablog.com

 ↑下ネタ版裸族あるあるなどを書いています。

 

 

昆虫食生活〜準備編①〜

こんにちは、どうもUと申します。

1週間全裸生活を終えて

今は昆虫食1週間生活を営もうとしている大学生です。

 

今回は、実際に昆虫食を始めるにあたって、食べる昆虫を選んでいきます。

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最終的に到達したいテンション

 

まずは決めるべきは

昆虫食の入手方法である。

 

入手方法なんて大げさな。

一歩町から出ればそこは昆虫の宝庫である。

虫網片手に森へ出れば良いのである。

私こそが真のムシキングである。(違う)

 

虫は自分で捕まえよう。そう、私も思っていた。

 

しかし、実際に行動に移そうと考えてみると

 

20歳にもなって、毎日虫網片手に

その日の食料をかけて対峙するのはあまりにも親不孝である。

 

もともと頻繁に職務質問されてしまう私は

虫取りをしている最中は、おまわりさんになんと弁明したらいいのであろうか。

 

『今年のバッタはうまそうですね(笑)へへへ(笑)』

 

手錠の確定演出である。

 

そこでどうしても虫を捕まえに行きたくない私は

最もらしい理由で自分を納得させることにした。

 

元来、私が昆虫食を始めたきっかけは

『将来的に昆虫食が普及し、食卓のレギュラーメニューになった時と同じ食体験をして、昆虫食ならびに自らの環境などを考える』

である。

 

つまり、戦時中のように食糧の確保が難しい状況を想定しているわけではないのだ。

(詳しくは過去の記事をご覧ください)

u-1999.hatenablog.com

 

 と、いうわけで

今回は私は通販で昆虫食を注文することにした。

 

しかしやはり、なんでも経験してみたい年頃である。

 

運よく食糧が手に入ることは保証できないが

昆虫食生活1週間のうち

1日は虫網を持って食料を確保しに森に出かけようと思う。

この季節の旬は、どうやらバッタらしい。

 

バッタ相手に成人男性がメンチを切るブログをどうかお楽しみに!

 

 

次に決めていくのは

入手する昆虫の種類である。

 

種類を決めていくにあたって意識したことは2つである。

 

・通常の文化的な生活を送ることのできる栄養摂取ができるか。

・どうせならいろんな種類の昆虫食を食べてみたい。

 

まずは、成人男性に必要なカロリーなど、栄養について調べていくことにした。

小学生並みの情報収集能力でわかったことを以下に記す。

 

・栄養には様々なものが存在しているが、特に五大栄養素は絶対に欠かせない

→タンパク質、脂質、炭水化物(糖質)、ビタミン、ミネラル(無機質)

 ・成人男性であり、身体活動レベルは普通(一日中座っているなら低い)

→必要なカロリーは2400〜3000カロリー

 

この情報をもとに昆虫食の通販を探っていく。

『昆虫食の通販』

これまたパワーワードである。

 

何か掛け合わせてしまっては危険な香りのするものをかけてしまったような

おじさんの女装を見ているようなそんな気持ちにさせられる。

 

そんな艶かしい通販サイトを見ていると、非常に心苦しい事実を突きつけられてしまった。

 

最も安いコオロギのセットが1500円。

その内容量がなんとなんと50kcal。

 

1日の理想的な摂取栄養量を考えると

1日あたり、9万円食費がかかる。

 

いくら、お金に困り果て毎日黄色い白米を食べる私でも

1日9万円の食費を出していては、昆虫が原因で闇金におちてしまう。

 

なんたって私は、日々の小さな楽しみに心を踊らす貧乏学生なのである。 

 

1週間三食昆虫食生活の夢はお金持ちになった日に託して

1日1食は昆虫食を食べる生活に変更した。

 

こうして私はひょんなことから、大金持ちになることを決意したのであった。

 

 

 

 

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全てのはじまり↓

u-1999.hatenablog.com

u-1999.hatenablog.com

 過去の記事もよければどうぞ!

大学生×昆虫食、最強じゃね?

20歳下宿大学生、魂の昆虫食を開始!

昆虫食の画像

昆虫食

読者になってくださっている方、お久しぶりです。

初めてお越しくださった方、初めまして。

また本日より、定期更新を開始します。

 

私は京大に通っている大学生である。

このブログでは、そんな20歳の『突然全裸生活』など刺激的な日常をお送りしています。

ぜひご覧ください!(すべてのはじまり↓) 

u-1999.hatenablog.com

 

紆余曲折があり

・全裸で1週間

・食事なしで1週間

・住まいなしで1週間

を試すことになった私であったが

 

法律スレスレの1週間全裸体験終えて

すっかり裸族になってしまった。

 

そんななか全裸で次に向け

食事について調べてた際に

面白いものと出くわした。

 

『昆虫食』である。

 

以前から

人口増加に伴う食糧問題に一石を投じる新星のヒーローは昆虫かもしれない!?

というニュースは耳にしていた。

 

しかし、そのニュース以後もテレビやyoutubeなどで昆虫食を見かける機会は増えたものの

 

いつまで経っても

昆虫食=ゲテモノ扱いされる現状に違和感を感じていた。

 

地球を助けにきたヒーローを食べといて

『ワー!』『キャー!』『ウゲェ…』

などはあまりにも救われない話だ。

 

助けてくれたアンパンマンがくれたカケラを

汚い雑巾を持つような指の扱いで持ち

食べながら『まずい』っていうことがあるだろうか?

 

そうした認知度の高さとは裏腹の

『需要と受容の問題』

が強く私を惹きつけたのである。

(ジュヨウのダブルミーニングですね、日本中の座布団を用意しておいてください)

 

次回からは、昆虫食についての概要、考えをまとめていきます!

 

 

 

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全裸を笑うな!俺を笑え!

私は突如思い立ち1週間全裸生活を送った成人男性である。

 

なんやかんやで全裸1週間を終えた。最高の日々は過去のブログを見てほしい。

u-1999.hatenablog.com

 (まずはこの記事からどうぞ)

 

 

これまでとこれから。今回は予告編である。

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全裸を笑う人


私は1週間生まれたての姿で、郵便を受け取り、ビデオ付きオンライン授業も受講しながら過ごした。

 

日本の警察は優秀である。私はこの裸族生活で前科者にならないように気を張っていた。

 

カーテンも開けられず、もちろん外にも出られず囚人さながらの生活であったが

それが学びなのかはさておき、多くのことに気付かされた。

(詳しくは全裸生活の心境と裸族あるあるをどうぞ!)

u-1999.hatenablog.com

u-1999.hatenablog.com

 

 

 

全裸生活を始めるにあたって私は

「衣食住一つでもかけると人間は生きていけない」という通説を否定するため

・衣なし1週間

・食なし1週間

・住なし1週間

 

を試すことにしていた。

 

次に試していくのは「食なし1週間」

 

ではあるのだが、、、

 

同じ食関係で、最近私の興味を強く引いているものがある。それは

「昆虫食」

 

人口爆発、難民などなど様々な食料問題に差し迫られている現代社会。

そこに彗星のごとく現れた救世主は、宇宙人でも突如現れた神様でもなく

太古から人間のそばに常にいた昆虫であった。

 

いずれ、昆虫食が少しずつ私たちの食卓に並んでいくであろうことがすこし前から話題となっている。

 

昆虫食は栄養満点という噂である。

大学のために一人暮らしをしている私にとってはうってつけなのではないか?

いずれ受け入れられるであろう昆虫食を先に慣れておくことは大事なのでは?

 

虫をボリボリ1日3食食べる全裸男を私も見てみたい。

 

昆虫食のみで、1週間を健康に過ごすことにした。

 

すっかり裸族になってしまった男の昆虫食生活、乞うご期待!!!!!

 

2020

 

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裸族が服と出会う話

1週間、完全に全裸だった人間が、服を着る瞬間

を具に記していこう。

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読者登録をしてくださっている方、本当にありがとうございます。

最近、新しく私の記事を読んでくださる方も、ありがたいことに増えてきたので

少し、私が全裸になったきっかけから話していきます!

 

 

私は神の声を聞いて全裸生活を始めることとなった。

「そこに光あれ!お前は全裸なれ!」

(神様もなかなかのすけべである。)

 

衣食住を1つでも欠いては人間は生活が営めない。

そんなことを自明のように語る人間がいた。

 

そう聞いたら、私はいても立ってもいられなくなり

本当にそうなのか検証するために1週間全裸になることにした。

 

思いたった心情、いざ全裸になり’童貞’を喪失する瞬間、少し卑猥な裸族あるある、1週間の心情は過去のブログを遡って見てほしい。

 

u-1999.hatenablog.com 

u-1999.hatenablog.com

 (まずはこの2つの記事からどうぞ!)

 

 

こうして1週間、約10000分間。

ただの1つもタオルケットなどの布を引き寄せず生活した私はついにその期間を終えた。

 

気分はさながら囚人であった。

裸ゆえに外にでれず、カーテンさえ開けることのできない生活。

私の7畳1間の部屋は、気づけば独房へと姿を変えていた。

 

服という存在が当たり前ではなくなった1週間ののち

私は果たして服を着るのだろうか。

 

そんな不安をよそに、私の手は終了の時刻と同時に服に手を伸ばしていた。

 

服を手に取った瞬間、本気で「重いな。」と思った。

 

無論、服はオーダーメイドでなく、既製品として売り出されることが主体となってきた

歴史の中で、デザインはさることながら、機能面においてめざましい発展を遂げてきた。

 

そんな中で軽量化も同時にすすめられてきたはずの服が、ひどく重く感じたのだ。

 

 

まずは、パンツを履いた。

 

トランクスである。

それでもひどく締め付けられている感覚があった。特に腰回り。パンツのゴムが拷問器具に思えた。

そして大事な部分だけ風が当たらないことにひどく違和感を感じた。

いつもに比べ、こいつが大人しくなっているのを感じた。

 

そこからズボンを履いた。

 

ストレートのスラックスである。

このズボンの履き心地は最高であった。何か肌に滑らかなものが通り過ぎ、その直後に、安心感が現れた。素材の問題もあるのであろう。

バーバリーが、まだ今の字体になっていない時代のものである。

 

最後にtシャツである。

 

これが想像を絶する最悪さであった。

 

服がこれでもかと体にへばりついてくる。

お風呂の中でずっと服を着ているあの感覚だ。

(私は非日常感が好きでたまにします。)

 

自らを何かに押し込めるような、作為的な圧力。

出してと叫ぶ、細胞の合唱。

 

そんなものを感じたのは初めてであった。

 

さらに動こうとすると、チクチクが止まらなかった。

もしかすると小学生の時

「好きな人を言わないでね、もし言ったら針千本飲ます。」

と言われた’あの針’が今きているのかもしれない。

 

 

服を選ぶ基準として、私は

①その服の持つストーリー

→ブランドならば、そのコンセプトやデザイナーの人生。ヴィンテージならば年代や背景にあるもの。などなど

②デザイン性

→自分の体型にしっくりくるフォルム、作りたい形。

 

の2つを重視していたが、ここに着心地が追加された瞬間であった。

 

 

ベランダに駆け足で出ていき、ピンク・フロイドをたれ流し

「服を着て」タバコを吸った。

 

久しぶりに見る外の世界は、なんだかよそよそしかった。

少しばかり顔を覗かせていた月は、なんだか物足りなく感じた。

 

しかしそれ以上に

外に出ることのできた感動が襲ってきていた。

 

開放感をさらに味わい尽くすために

ベランダから、7畳一間の部屋を走り抜け、靴を雑にはきながら

転げるように私は外へと出た。

 

資本主義社会への風刺をきかせたピンク・フロイドが流れる、小さな携帯だけを持って

私は道路に大の字で寝た。

 

目をつぶり、風を感じた。

遠くの方で、道路をただ照らし続ける信号の色が光っているのを感じた。

まぶたがチカチカと点滅している。

麻薬をやるというのはこんな感じなのだろうか。

風に包まれ、風に拒絶されているのを感じた。 

 

満喫したあとに、ポストを見ると支援として送ってもらったラーメンが届いていた。

 

2020

 

 

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u-1999.hatenablog.com

 

 どうかこんな俺を笑ってやってください。

 

 

 

全裸心境資料〜7日目〜

以下記したのは、1週間全裸生活を実験的に始めた被験者の7日目の心境である。

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2020年5月22日 金曜日 天気:晴れのち曇り

 

気がつけば、アマチュア裸族だった時に感じていた

大気が全身を通り抜けていくような、少し肌寒いあの感覚はなくなっていた。

 

雨が上がり、少し天窓からのぞく日差しが

何より7畳一間の部屋と外の世界とのつながりを感じさせた。

 

ついに最終日。

ベッドで体も起こさず、天井に目線をやり、ボーッとしていた。

 

最終日と聞き初めに頭をよぎったのは、皮肉にも

「外に、でれる!!」

というものであった。

 

6日間×24時間、本当に一切の布を身体に寄せ付けずに生活してきた。

あとたったの24時間で全裸生活が終わる。

 

時計の針が、誰にも気づかれることなく

ほんの少しだけ震え、0時をまわったとき。

 

私は果たして服を着るのであろうか。

服はまだ生活の自明の存在なのだろうか。

 

例のごとく、私は全裸で眼鏡をかけ

几帳面そうにメモ帳の向きを整えながらそんな思索に耽っていた。

 

服とは、文化である。

文化とは生活を豊かにするために改良を加えられてきた過程でできた様式および表現である。

 

服は人類の理想を実現していく精神活動が、形を帯びたものだと思う。

 

そんな文化を、文字通り1週間脱ぎ去り

私は皮肉にも人類の理想に触れた気さえもしていた。

 

そんななか、私がこれからの家での生活で、果たして服を手に取るのか。

私は一人の服好きとして、一抹の不安さえ感じていた。

 

 

この日は祝い酒として酒を飲み、0時の瞬間を待つことにした。

 

私の心中は、なんだか年越しを待つ気分に似ていた。

こたつに足をねじ込みテレビの音をBGMに、たわいも無い会話をする。

 

特に世界の何が変わるわけでもないのに、何をそんなに私たちは楽しそうに待っているのだろうか。

その何にも裏打ちされない高揚感が私は好きだった。

 

酒を飲んでいる時、気づけば私は

はじめに感じていた羞恥心について思いをめぐらしていた。

 

自らの毛のトラウマからくる羞恥心。

※詳しくは前のブログを参照ください。

 

たった1週間でそういった羞恥心はほとんど消えていた。毛に対して

「セクシーだな、お前。」

とまで思うようになっていた。

 

あの時、あの瞬間に、服を脱いだ時に

羞恥心も丸ごと脱ぎ去ったのかもしれない。

 

酒が身体中を走り回り、気がつけばなんとも言えない幸福な気分に浸っていた。

コップから滴る水滴は、全裸がゆえに毎度私を驚かせた。

 

0時は意外とあっけなく過ぎた。

昔からそうだった、時計の針は私たちの気持ちを汲んではくれない。

 

一応、あっさりしたカウントダウンはしていた。

6、5、4、3、2、1、、、、、

 

 

服をもう一度着るのだろうか、そんな不安を抱いていた私であったが

0時を過ぎ、間髪入れずに手を伸ばしたのは

大好きでたまらない洋服が入っている引き出しであった。

 

ただの無機質な白い衣装ケースが、虹色の宝箱に姿を変えていた。

私の手は見方によっては乱暴なほどに動き、ブラックホールに引き込まれるように引き出しを漁っていた。

 

気持ちを美しく、強く、そして何より軽くしてくれる洋服は

なんだかずっしりと重かった。

 

 

2020

 

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次回は裸族が服と出会う場面を描いています。

 

u-1999.hatenablog.com

 

 裸族になる前に服に対して抱いていた感情も合わせてご覧ください。 

u-1999.hatenablog.com

 さあ、ついに成人男性が服を着ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

全裸心境資料〜6日目〜

以下記したのは、1週間全裸生活を実験的に始めた被験者の6日目の心境である。

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2020年5月21日 木曜日 天気:曇り

 

この頃は曇りが続いていた。

雨が降ったり降らなかったり。

カレンダーを見て、さては梅雨だな、と全裸の私は名推理をみせた。

 

目はさながらシャーロックホームズ、体はさながらギリシア彫刻である。

 

のそっと体を起こし、この日はギターを弾いた。

 

本格的に全国大会にも挑戦している津軽三味線に比べ

ギターに関しては全裸に毛が生えた程度である。

 

叔父さんから譲り受けた、味の深いアコースティックギターを使っている。

 

譲り受けたとき

ギターは埃をかぶり、切れている弦が2本。ほかの弦も物の見事に錆びていた。

 

私は友人に頼み込み、ギターを復活させてもらった。

そう、あれは貰ってから3日後のことであったと思う。

なんと偶然にも磔刑から3日後に復活したイエス様と同じである。

 

復活したギターは

有機的な予感を含んだ曲線がまばゆい、木であった名残を訴えかける名品であった

 

音を鳴らせばなんだか、歌っているような感覚に陥るのであった。

 

この日は「欲望に満ちた青年団を弾き語りした。

オーディエンスはもちろんいない。

私の出す音は、7畳1間の下宿先に当たっては跳ね返った。

 

実際にはこの歌において欲望という言葉の意味は、性的な意味を持っていないが

客観的に見れば、全裸で欲望に満ちた青年団を歌っているのは

確かに欲望の塊に見えたであろう。

 

 

この日は1度喋ったことがある友達がくる予定であった。

 

そう、1度”しか”喋ったことのない男である。

2回目に会う時に相手が全裸というのはなかなかのものである。

 

私が相手ならば、顔をまだはっきり覚えられていないので

顔と大事な部分、どちらに挨拶すべきなのかわからなくなりそうだ。

 

のちに、彼とは性癖の一致という人類の奇跡により

各国首脳同士の握手よりも固い握手を交わすことになるが

この時は、私も私のウェポンも緊張の顔をみせていた。

 

この日、彼は結局家に来ない運びとなった。

 

原因は突然のどうしても外せないzoom会議であったが

私の体が安心していたのは、この場で告白しておかなければいけない。

 

やはり、全裸でいてもなんとも思わないのは、かなり親しい間柄のみであったのだ。

 

プロの裸族は、対面の人と会う際、どうしているのだろうか。

本当に微塵も恥ずかしさはないのであろうか。

私の未熟さからくる恥ずかしさなのであろうか。

 

ここで私はある興味深い関係性を見出した。

裸を見られてもいい人は、自分の内面をさらけ出せる人。

 

当たり前のようにも感じるが、決して当たり前ではない。

 

私たち人間の持つ最も物質的な側面である身体

私たちの人間の最も非物質的な側面である思考や背景

 

恥ずかしさという点で交わっているのである。

 

なんだか、21世紀最大の発明をした気分であった。

 

恥ずかしさという交点は、実はみんな共通に持っていて

おそらく見つけにくく、どこかで赤く頰を染めているのだろう。

 

 

2020

 

 

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 裸族生活最終日の男の心情を見れるのはこのブログだけ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全裸心境資料〜5日目〜

以下記したのは、1週間全裸生活を実験的に始めた被験者の5日目の心境である。

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2020年5月20日 水曜日 天気:晴れのち曇り

 

この日は精神的に、最も全裸に動じなかった日である。

(もしかしたらウェポンの揺れもいつもより小さかったかもしれない。)

 

朝起きて、少し薄暗い部屋の中

裸で津軽三味線を弾いた。

 

津軽三味線は、実は歴史の浅い楽器である。

簡単になりたちを紹介すると

伴奏としての細棹の三味線(いわゆる三味線)から、独奏のために、よりちから強い音を出すために生まれた楽器だ。

 

つまりものすごく、ずっしり重量感があり、飛び道具のように鋭い音がでる。

 

中学2年の頃にバンドブームが襲来。皆が夢とギターを抱いていた頃、、、

眼に余るほど尖っていた私 は 津軽三味線を選んだ。

 

風を切るような手の動き、物理的に大きな衝撃音、たまに魅せる桜が一気に散るかのような、強者のみせる寂しげな表情。

 

それらに完全に魅せられてしまったのだ。

 

そこから年月は流れ、かれこれ6年ほど三味線を弾いているが

全裸で弾いたのはこれが初めてであった。

 

弾き始めるまでは、なんだか恥ずかしくて同じく裸の三味線を見れなかった。

お互い裸で何かこれからイケないことをしちゃうみたいだ、、、

 

事後にいつも丁寧に拭いてあげているその身体は、なんだかいつもより艶々しかった。

そっとその体を持ち上げ、耳を押し付け調弦をした。

調弦をしている時間は、いわゆる愛を育む時間だ、決して焦ってはいけない。

はやる気持ちをあえて落ち着かせながら、ゆっくりと波長を合わせた、、、

 

いざ弾き始めると、生の本当の音を肌で本当に感じた。

 

裸にならなければ気づけなかったその音は、今までの観念上の音よりもゴツゴツしていて

肌触りは荒々しい岩肌のようだった。

 

そして繊細な音は、泣いているかのようだった。

 

 

弾き終わってからは、宗教についての本を読んだ。

 

今は5大宗教に関しての興味が強く、しこしこ学習している。

 

全裸で眼鏡だけを几帳面そうにかけて、宗教について学んでいるのは

ちゃんちゃらおかしな話である。

服だけじゃなく、何か大事なものまで脱いでしまったようだ。

 

仏教に関して、面白いことを知った。

 

今ではとてつもなく崇拝されている釈迦は、若き頃に

宮廷で女遊びの激しい日々を過ごしたそうだ。

(釈迦はその快楽を活かし苦行との中道を見つけ悟った)

 

「なんだ、釈迦も人間じゃん笑」

と7畳1間の下宿先に私の声が漏れた。

 

なんだかそこから、急に釈迦に親近感が湧いた。

釈迦、今何してるんだろ。ライン返ってくるかな。

アイスとか買って来てほしいな。

 

私は中高男子校の男である。6年間男の園で暮らした。

女遊びはもちろん知らないが、釈迦の気持ちを勝手に推測してみることにした。

 

女遊びをするというのは、女性を愛し求めることなのではないのか

 

しかし私はここで悲しい事実に気づいてしまった。

 

何かを愛し求めるという行為が、それ自体が

何かを未だ持っていないということを示しているではないか。

 

そこから浮かび上がって来たのは

悲しいかな、人間の断絶であった

 

人間は生まれながらにして、1つの思考する生き物である。

 

どんなに愛していても、どんなに家族のように思っていても

どんなに心が読めるような気がしても

 

他人と1枚の紙のようにぴったり重なることは、ない。

 

そこには残酷にも必ず断絶があって

それを埋めようとして来た歴史が、行動の歴史なのだろう。

 

好きな人との断絶を埋める行動が、告白なのだろう。

恋人や家族との断絶を埋める行動が、愛の言葉なのかもしれない。

 

 

そして、確実に存在する断絶は何も悲観することはなくて

その断絶がいつもどこかで

ドラマをうんできたのであろう。

 

2020

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いよいよ長いようで長い1週間が幕を閉じようとしています。 

 

 

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よければ、裸族の終わりまで心境をなぞっていってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全裸心境資料〜4日目〜

以下記したのは、1週間全裸生活を実験的に始めた被験者の4日目の心境である。

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2020年5月19日 火曜日 天気:曇り

 

突然全裸生活4日目にもなると、服を着ていないということに関して

考えることも無くなってしまった。

 

しかし1つの思いが牙を剥き、吠えながら、無視できないほどに大きくなっていることを

認めなければいけなかった。

 

【外の空気に触れたい】 

 

 

繊細な指先で鼻腔をくすぐる、季節の風。

一寸通りかかった際に、認めた柔らかくもどこか寂しい隣家の夕飯の香り。

植物も生きていると首肯させられる、生き物独特の生臭さ。

ウーバーイーツの恰幅のいい男が、一寸横を自転車で通ったとき、苦しそうな顔をしたtシャツからかおる、若さを余すところなく謳歌している汗の匂い。

 

それらを直に触れたい。

その気持ちは3日間まるまるカーテンを閉め、家に閉じこもっている私の中で無視できないほどに成長していた。

 

この日は外界への憧れもあってか、60年代後半のロックを浴びた。

 

60年代後半といえば、アメリカの西海岸を中心に若者たちが

愛と平和と自由を求めた時代。

 

今までの道徳や常識にとらわれず、心の赴くまま生活する

ヒッピーたちの時代である。

 

感情の赴くままにドラッグをし、髭を好き放題のばし、セックスはやりたいときに、、、

 

人間本来の理想の生き方を今一度、からだで考えていた

ヒッピーたちの脳のエネルギーとなり、肉となり血となっていた

ジミ・ヘンドリクスジャニス・ジョップリン、ジム・モリソンなどを聞いていた。

 

 

そんなロックに頭を振っていたなか、突然玄関の呼び鈴がなった。

 

そう、何事も短い人生の中では、突然にやってくるのだ。

 

習慣で玄関に出ようとして、裸であることを思い出した。

こんな些細なことで新聞に名前が出るのは真っ平御免である。

 

居候の協力でとってもらった小包みには夢が詰まっていた。

 

私が呼びかけた支援として、九州にいる友達が郵送してくれたものであったが

その中身は「はだかのおうさま」であった。可愛い可愛い絵本である。

 

これを認めた時、私の目は完全に童心にかえっていた。

真っ裸ですぐに絵本に飛びついた。

 

何にしろ、全裸生活をしている20歳の友達に送るものとして

センスがありすぎではないか?

 

話の流れはある程度は知っていたが、少し曖昧な部分が多かった。

1ページ目はこんなスタートだ。

 

「ある くにに、

それは それは おしゃれが すきな おうさまが いました。

おうさまは、 ありったけの おかねを ふくや くつや ぼうしに つかいます。

あたまの なかは おしゃれの ことで いっぱいで、 だいじな かいぎも そっちのけ。」

 

ワクワクしながら読んでいた私の手はすっかり止まっていた。

どう考えても王様が自分と重なってしまったからである。

 

私は大の服好きである。

1ヶ月で10万以上は服に費やし、毎月クレジットカードの請求におわれる。

バイトでどうしようもない部分は、すきなシーズンの服を泣く泣く売り渡す、、

そんな生活が自粛期間以前は続いていた。

 

私は、ひらがなと絵と句読点だけが作り上げる世界にいつしか没頭していた。

 

何のために自分は服を着ているのか、また何のために意地をはっているのか

何に固執しているのか。それらを私の脳みそは平仮名で考えていた。

童心で受け止めていた。

 

絵本は決して子供向けではなかった。

立派な立派なクリエイションであった。

 

涙が出るほど本質だけがくりぬかれた、柔らかい顔をした孤高の天才であった。

 

クリエイションはマイナスである。

 

私は、ありがたいことに何かのデザインを頼まれたり、服を作る機会がある。

その時に心がけていることである。

 

九州から届いた、素敵な夢を運んだ絵本は

その本当の意味を私に教えてくれた。

 

裸で絵本を握りしめ、涙ともわからない何かを胸に感じていた。

 

その時私の耳に飛び込んだのは

全てを呪い、全てを吐き出すかのような

イギーポップの「ファック!」であった。

 

2020

 

 

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次回も裸族生活の心境を述べていきます!どうぞまとめてご覧ください! 

 

 

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  慣れとは怖いものです。すでに裸でキーボードを打つという非日常が日常へとすりかわりました。

裸族あるある。②

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前回は、1週間全裸生活をしている私が裸族あるあるについて語った。

 

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では、前回に引き続き、裸族あるあるを述べていこう。(少し下ネタ多め)

※下ネタが苦手な方はご遠慮ください!

※隠語としてウェポン(兵器)を用います。

 

述べて行く前に、紹介するほどではない、というより

私あるあるかもしれない裸族あるあるを紹介してから始めたいと思う。

 

未だかつてないほど自分のウェポンに話しかけてしまう。

 

流石に「おはよう」と普通に言ってしまった時に

何してるんだろうと自分の奥底に眠るサイコパスに泣いてしまいました。

 

 

ウェポンがブランコみたいに揺れる

パンツさん今までありがとうって思うのだ。

私のウェポンよ、こんなに叫んでいたんだねって。

 

いかほど揺れているのかわかっていただくために

例として冷蔵庫のお茶を取りにいくことを考えよう。

 

まずは椅子から立ち上がる。

「俺を置いて行くなよ笑」とウェポンはにこやかに揺れる。

扉を開ける。

気圧の変化からなのか、少し暖かい風がウェポンに当たる。

もう春かぁと言いながらカレは私とともに扉をくぐる。

冷蔵庫まで歩く

喉が渇いた時、冷蔵庫に歩み寄って行く際に脳内で流れる音楽はノクターンである。

優雅な雰囲気を感じ取ったのか、ウェポンもおさまりよく音楽に身を委ねている。

上品なダンスである。これならどんな場に出しても恥ずかしくない。

冷蔵庫前で止まる

慣性の法則はもちろんウェポンにも働いている。後ろ髪をひかれた(カレの場合は下の毛か?)ようにカレは前に進むエネルギーを押し殺しながら止まった。

冷蔵庫を開ける

私の目が届かないうちに、冷蔵庫がこっそりためていた冷気が勢いよくウェポンにあたる。

寂しかったよ、ばかと言わんばかりの冷気にウェポンは縮んでしまった。

 

普段何気なく行っているお茶を取るという行為のみでこんなにもカレは動いていた。

20年ぶりに開放されたカレが普段よりも張り切っていたのかもしれない。 

 

 

 

勉強は個人戦、料理は団体戦

料理は、命の危機を招いていることを知っているだろうか。

 

私の得意料理にカルボナーラがある。

 

カルボナーラを作る過程に、ベーコンをオリーブオイルにマリアージュさせるシーンがある。

 

それはいわゆるウェポンにとっての核戦争の危機である。

 

惜しげもなく散っていくベーコンの破片、伴ってついてくるエネルギー満点の油。

 

それらが一気に襲ってくるのだ。

 

裸族にとって火を使った料理は命取りなのだ。

 

裸族村に昔から伝わっているこんなことわざを紹介しよう(ないです。すいません)

 

『非を認めれば、即ち謝れ。

  火を認めれば、即ち味方にせよ。』

 

 

 

自分のお尻を必要以上に叩く

ひとつの楽器を手に入れたのだ。

 

なんとなく机を叩いてリズムをとった経験はないであろうか。

まさにその感覚で、私は1週間

赤くなるまでお尻を叩き続けていた。

 

次第に8ビートにとどまらず16ビートも刻めるようになった。

彼もいまや立派なシリドラムだ。

 

これに関して興味深いのは、家に訪問した友達はみんな俺のお尻を叩いたことである。

 

名誉のために述べるが、私は決して

叩いて欲しいなどとは決して言っていない。

 

裸になるとお尻はなんとも言えず叩きたくなるものなのである。

目の前にプチプチの緩衝剤があれば10人中11人がプチプチを潰すであろう。

 

まさにあの衝動がお尻に現れるのだ。

 

お尻の声を聞くためにも裸族生活を私は推奨している。

 

 

ことあるごとにアキラ100パーセントになる

人は1日にいくつのポーズを取るのであろうか。

数えきれない数のポーズをとっている。

 

その中に、意識せずともウェポンがお隠れになる瞬間がやってくる。

 

裸族は常に100%なのだ。

 

ただアキラ100%と違う点は、ウェポンの出現をなんとも思っていない点である。

 

全然安心してくださいとは言えないし、隠すためのお盆も蝶ネクタイもいらない。

 

裸族は今日も無敵である。

 

 

真面目なことをするだけで滑稽

裸で相対性理論の本を読んでいた場合を考えて欲しい。

 

あのアインシュタインもさすがに声を荒げて怒るだろう。(彼なら笑うであろうが)

 

文明、人類の英知

そういった属性のあるものは、不釣り合いに感じる時がある。

 

パソコンを叩きながら、眼鏡をしていた私はなんと滑稽であっただろうか。

 

ウケを狙っていないのにウケ狙いみたいになって恥ずかしい瞬間もある。

 

なにをしていても滑稽なのが裸族である。

彼らはそこを克服して服を脱いでいる。

 

 

2020

 

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次回からは、裸族心境4日目から更新していきます!ぜひ裸族になった瞬間も立ち会ってください!

 

 

u-1999.hatenablog.com

 裸族の大学生の赤裸々な心境が覗けるのはそこのあなただけ!ここだけ!

  

 

裸族あるある。①

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突然全裸で1週間過ごしてみようとした、20歳の男がいた。

(私は変態ではありません。私の名誉のためにも裸族になろうと思った動機をぜひご覧ください。)

 

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 今回は、そんな私が感じた裸族あるあるを紹介していこう。

 

 カーテンが開けられない

満たされたベッドから起きて、光を浴び、伸びをする。

そんな幸せが全裸にはやってこない。

 

全裸には基本的な人権がいくつかかけているのだ。

 

そもそも外に出れない。日本の警察は笑ってくれない。

薄暗い部屋で太陽光を避けて、人の目を避けて暮らす。

 

そう、裸族はほぼドラキュラなのだ。

 

もしかしたらドラキュラが裸族なのかもしれない。

裸にあんなマントなんか着ちゃって、首をかむって相当変態だ。

性に開放的な21世紀でも流石にアウトだろう。

変態があそこまでミステリアスに美しく描かれた作品はまたとないだろう。

 

納豆に目一杯のニンニクを入れながらそんなことを考えていた。

 

 

 温度調節が命に関わる

ふとした時に死を感じる。

1日で水を飲む頻度で鳥肌になっていた。

 

21度に保つといいという情報を入手していたのだが

実際にやってみると冷蔵庫の中にいる気分であった。

 

そうして居候達との温度戦争が幕を開けようとしていた。

 

裸の私はあまりにも温度に敏感になっていた。

別室にある冷蔵庫が空いている時、部屋の反対側の窓が一寸空いている時

などなど私はそれらを肌で認識できるようになっていた。 

 

しかし居候達は汗を流しながら、全裸生活に付き合ってくれた。

持つべきは冷えピタと保冷剤と理解のある居候である。

 

 

シャワーへのハードルが低すぎる

 あなたはお風呂に入るのがめんどくさく感じることはないであろうか。

私は昔からお風呂に入るのがめんどくさくてたまらない性分であった。

 

時にはちょっとでもお風呂を楽しくするために

服を着たままお風呂に入ったりしていた。

(これがなかなかクセになってしまって、今でもしてしまいます)

 

服を着たまま入るのは、とにかく気持ちが悪い。

衣服がべたべたとくっついてきて、離れる。

そして空気を含んでまたくっついてくる。そしてまた離れて、、、

 

しかしその気持ち悪い1分をすぎたあたりから、途方もない罪悪感と開放感が

混ざり合ったような蜜の味が降り注ぐのである。

 

さて、そんな具合にお風呂がめんどくさいと感じる私であったが

裸族になって1日に5回はシャワーを浴びるようになった。 

 

普段シャワーを浴びる際、私たちは

 

服を脱ぐ、洗濯機に入れる(洗濯物が増える)、シャワー浴びる、体をふく、服を着る

 

という、長い途方もない工程をたどっている。しかし全裸くんはどうだ?

 

シャワー浴びる、体をふく。

 

これにて完結なのだ。この容易さから私は

朝、昼、夜は当たり前として、トイレに行くたびにシャワーを浴びていた。

 

裸族にとってシャワーは概念である。

この世で一番清潔なのは裸族であるのだ。

 

 

床に迂闊に寝転べない

私は掃除が好きだ。

もはや趣味と言えるかもしれない。

 

朝起きたら、まずは掃除をする。

昼や夜に楽しそうに踊っていたホコリたちも朝には眠っている。

 

起こさないように気をつけながら、そっと、、、吸い取るのだ。

 

この趣味から私は下宿先の清潔さを自負していたが、全裸になるといろいろな気づきがあった。

 

ホコリたちはちゃんといたのだ。

全裸で床に寝転べば、遊んで〜とホコリたちは寄ってくる。

こうして私は迂闊に寝転べなくなった。

 

無論大声では言えないが、寝返りを打った際に私の大事な部分が悲鳴をあげることも原因としてあげられる。 

 

 

自分の本当の肌の匂いを知る

あなたは自分の匂いを知っているだろうか。

おそらく香水をつけている人ならば、その匂いであろうし

ほとんどの人は柔軟剤やボディソープやシャンプーの匂いの影響が大きいと思う。

 

今回全裸で1週間、一度も衣服をまとわず過ごしてみて

本当の肌の匂いを知った。

 

20年間、ともに進んできた匂いであるはずなのにひどく新鮮であった。

ひどく新鮮であったからこそ認識できたのかもしれない。

 

確実に初めて匂う香りであるのに、ひどく懐かしい気持ちにさせられたのはなぜだったのであろうか。

 

私が文豪であったならば

この匂いに記憶の鍵という名前をつけていたかもしれない。

 

その匂いは、輪郭のない、柔らかな光を感じる、暖かい、リズムの遅い、主張しない、包み込んでくれる匂いであった。

 

2020

 

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ぜひ裸族あるある2もまとめてご覧ください!

 

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 下ネタが今回よりも多めになるので、閲覧は自己責任でお願いいたします。


 

 

全裸心境資料〜3日目〜

以下記したのは、1週間全裸生活を実験的に始めた被験者の3日目の心境である。

 

今回は倫理観や常識について、背中で語らず、全裸で語ります。

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2020年5月18日 月曜日 天気:雨

 

この日はぐっすり寝た。

 

全裸で昼に起きた。この日は授業をサボり、ゲームをしこたますることにした。

昔、映画でみた堕落大学生の日常が、私の小さな下宿先の風景にぴったり重なった。

 

その日は、朝が来なかったのだ。

 

私は幼少期から少し非合理的な感情を、雨に対して持っていた。

 雨の日は、世界が重い。

軽い雨音で誤魔化してみても私の目は欺けない。

 

降っているのは

幾ばくかの水と、日頃の鬱憤ではなかろうか。

 

少年の私は(いまも)

軽快な雨音は、鬱憤が弾ける刹那の音だと信じて疑わなかった。

 

しこたまやり込んでいたゲームは

バイオハザードである。

 

言わずと知れた、wii神ゲーである。

時代が移ろい、最新技術が駆使され、いくら高画質になろうと

昔のいいものが味がなくなるわけではない。

 

むしろ、味はより深くなっていく。

 

服に関していえば、ヴィンテージものというカテゴリーがあることからもそのことは

明確だ。そしてゲームに関しては、まさにこのゲームがそれを体現している。

 

ざっくりとしたストーリー展開は

拉致されたキュートな女の子を救いながら、ゾンビの(ような)教団を潰す。

というものである。

 

そんな殺伐とした世界に、全裸で挑んでいる私はなんだか

いつもより逞しく思えた。

 

女の子を助け出すシーンなんて

「今行くからな!」

ともちうる最大のイケてる声で言いそうになったほどだ。

 

ゾンビが襲いかかってくるところでは鳥肌がたった。

全裸だからこそ、その鳥肌を目視できた。

 

ちなみに肌は全然鳥っぽくはなかった。(多分私は美味しくないのだろう)

 

 

この日は、カルボナーラを作りにサークルの友達がやってきた。

口から生まれてきた、稀代のおしゃべり男である。

 

彼は頻繁に私の家を訪れていた。気心の知れた仲である。

 全裸に関しては銭湯も行ったことがあるし、平気だと思っていた。

 

しかし予想と反し

彼は訪問から10分間、私の股間を見続けた。

それも、まるで見てはいけないものをチラ見するような

あの見方であったのだ。

 

すっかり全裸生活に慣れきっていた私は、そこで再び気づかされることとなった。

いや、無意識にまで刷り込まれてしまったものが

やっと意識に上っただけなのかも知れなかった。

 

この世界はいつも自分中心に回っていたということだ。

全裸になっても、自分から見た世界は決して変わらなかった。

さらに居候達もその光景に慣れたことによって

 

私の日本のどこかにある小さな下宿先は

裸と衣服を着た人間が、ちょうど半数ずついる国家にすり替わっていた。

 

朝起きておはようという人間の半数が裸である。

お米をたく時に米を研いでいる人間の半数は裸の世界だったのだ。

 

しかし、おしゃべり男の侵入でその世界は音も立てずに崩れ落ちたのだ。

 

いかに自分の周囲を中心に世界が回っているのか

言い換えれば、いかに保持している倫理観や常識が変動性のあるものなのか

 

その本当の意味を全裸生活3日目にして、ようやく気づくことができた。

 

服を着た侵入者お手製の複雑な工程のカルボナーラ

なんだか奥深く、ずっしりとしていた。

 

 

2020

 

 

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次回から二回連続で裸族あるあるについてまとめました!

 

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 裸族には裸族の世界がありました。一寸のぞいてみませんか?

 

全裸心境資料〜2日目〜

以下記したのは、1週間全裸生活を実験的に始めた被験者の2

日目の心境である。

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2020年5月17日 日曜日 天気:曇り

 

人間の適応能力とはそこしれないものである。

全裸歴2日目にして、私はすっかり慣れきってしまっていた。

 

そもそも私の目ん玉は前方を見るようについている。

私が見ている景色は今までとなんら変わらないのだ。

今までのように服を着た人類はテレビで大声を出しているし、大好きな納豆は30回混ぜてやることで色気のある表情をこちらへ向ける。

 

この開放感、2日目にしても色あせることはなかった。

ジェットコースターの頂上で天に手をかざし、発狂するあの感覚。

冷徹な顔のコンクリートに卵をぶちまけるあの感覚。

初めてふかふかの芝生で前転をしたあの時の感覚。

汚れのない一面の柔らかい雪に、足跡をつけるあの感覚。

それらが永続的に続いていた。

 

1週間とは言わない、1日だけでも人類は一度服を捨てるべきである。

人類が裸で過ごすようになる日も近い。

裸もファッションになる。毛の生やしかたで周りと差をつける日がくる。

 

とはいえ、開放感とともに

初日以上の羞恥心も自らの中で発見したことを、ここで告白しなければいけない。

 

その原因は皮肉にも「慣れ」であった。

 

初日は自らが全裸であることを常に意識していた。

頭の中でも一挙一動、全裸である自分が動いていた。

 

しかし、二日目にはその気持ちは薄れてしまっていたのだ。

 当たり前のように流れる時間の中で、ふと自分の体を見たときに

自分以外は知っている事実を、自分だけが知らされていないかのような

そんな不思議な羞恥心に駆られるのであった。

(小学校のころ、ズボンのチャックが空いていることを私以外全員が知っているが、自らだけが知らなかった、あの時の感覚である。)

 

 

5月17日、この日は高校の時の友達が支援に来てくれることとなっていた。

※支援については前のブログを参照

 

ひもねすラグビーをしている、分厚い男である。

「競馬に負けたらいけへんわ〜」

と言われ、全裸でもないマスクをつけた馬に予定を奪われることが非常に嫌だった。

せめて全裸で戦えよ、と思った。

 

彼の選んだ、全裸じゃない馬はいい走りをした。

 

車で中華鍋を持って現れた友人は、清々しい顔をしていた。

性善説を初っ端から信じそうな顔である。

ちなみにうちはIHなので中華鍋は使えなかった。

 

とびきり美味い焼き飯の作り方を教えてもらい、食卓を囲んだ。

とにかく焼き飯はあったかかった。

 

無意識の中に恥ずかしさもあってか、中高男子校で私の裸を見飽きたのか

彼は何も言わなかった。

 

帰宅後、違和感はなかった。

とだけ投稿されている彼のSNSをみた。

 

 

2020

 

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 全裸3日目と裸族あるあるはこちらから!どうぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

全裸心境資料〜1日目〜

以下記したのは、1週間全裸生活を実験的に始めた被験者の初日の心境である。

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2020年5月16日 土曜日 天気:雨

 

朝起きて1番の感想は”寒い”であった。当たり前だ。

私は中途半端な時期に全裸なのだ。中途半端に空いた目で1日を滑り出した。

 

雨の雰囲気をいたるところから感じるとともに、底知れぬ開放感を味わった。

雨の軽やかな音とともに胸が高まるのを感じた。

 

生活を営んでいくうち、自分が全裸であることを肌で度々感じた。

少しばかり気づきがあったので書き記しておこう。

 

ドアノブは意外と冷たい。

→おへそに当たったのだ。体のなかで一番いらない穴、おへそ。

 おへそが「冷たいよ」っていう日がくるとは。

ご飯は意外と体に飛んできている。

→どんなに丁寧にご飯をいただいても、実はご飯や液体の粉末は度々私たちへ飛来している。

 非常にエッチなご飯である。

性器(以後隠語としてウェポンを使用)は意外にも揺れる。

→ブランコなのか?と錯覚したほどである。ウェポンがハイジなら叫んでいただろう。

 

 

そうこうしているうちに、全裸で過ごしているという意識は常に保持していたが、そこまで苦なく、楽しく生活を送ることができた。

 

 

この日は、サークルの先輩が支援にきてくださる日である。 

※食料の支援である。前のブログ参照

 

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 先輩が持ってきてくださろうとしていたのは「天ぷらセット」であった。

 

私は嬉しい気持ちでいっぱいであった。

 

突然「勝手に全裸になるからなんか食料ください」

 

と言っているような後輩に話しかけてくださる事実が感動的であったのだ。

ぜひ折を見てドラマ化してほしい。名前は「裸の天ぷら先輩」なんてどうだろうか。

天ぷらが社会現象になりそうだ。

(打ちながら気づいたが、天ぷらって読み方次第で「あまぷら」になって

アマゾンプライムみたいだ。)

 

だが私の中で先輩の一言がひかかっていた。

天ぷらではなくて天ぷらセットであることである。

 

そう、先輩は戦慄の裸クッキングを望んでいたのである。

飛び跳ねる油に負けじと飛び跳ねる20歳の男の姿

望んでいたのだ。

 

しかし、突然の雨により幸運ながら先輩は来られなくなった。これほど恵みの雨という言葉の本当の意味を噛み締めた日はなかった。

 

天ぷらを揚げる前に白旗を揚げることになる想定はこうして杞憂に終わった。

 

 

こうして私は一日をくぐり抜けた。なんだか感慨深かった。

あえて最近の言葉で言い直せば「エモかった」。

 

生まれてからこのかた20年、24時間全ての時間を裸で過ごしたことがあっただろうか。

赤ん坊の時でさえもオムツをつけていたであろう。

人生で初めて、生まれたままの体で1日をくぐり抜けたのだ。

 

裸ゆえにカーテンは開けられなかったので

月がいるであろう位置に検討をつけ、室内から月を睨みつけた。

すると天井の模様が不思議と月の灯りを真似るのであった。

本物よりリアルな想像の月を、ゆっくりと愛でてタバコを吸った。

煙が月に向かって泳いでいく。

 

その時流れていた音楽は「裸の心」であった。

 

2020

 

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次回は心境二日目になります。裸族あるあるも合わせてどうぞ!

 

 

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