我が素晴らしき人生

「突然全裸生活」など刺激的な日々を提供いたします。

裸族になるために。⑵

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地平線である。

前回のブログでは、1週間全裸生活のための身の回りの準備を書いた。

(そう至った動機などもこの記事にあるのでぜひご覧ください)

 

u-1999.hatenablog.com

 

今回は心の準備である。

 

〜心の準備編〜 

 

自分は今日の0時から1週間裸で過ごす。

正直気分はなんとも形容しがたいものがある。

 

裸族とはよく言ったものである。

今送っている生活を全て全裸で行う人々は、まるっきり育ってきた文化が

違う人々の集団のような気がしてならない。

 

好奇心が絶え間なく動いているが

その好奇心がたまに不安そうな顔をして一寸こちらを覗く

というような気持ちである。

 

 

自分は全裸になるとこに関して自分の身体というよりも

服についてより一層考えた。

 

私は服が大好きである。常日頃、服という思考を挟まずに物事を見れないほどだ。

服について考えると、なんだか泣きそうになる時もある。

 

服の持つ質量的な重さよりも、私にとって服は重くずっしりとしたものなのである。

 

自らの文字通りシェルターの役割も果たしながら

自らの表現の媒体でもあるという

その1つの存在ながら対局的要素を持つ服は魅力的である。

 

そんな揺れ動く境界線を、悠然と歩く服を、わたしは見ていた。

 

自分という存在と外界との間に存在している、掴めそうで、結局掴めない。

風に身を委ねるスカートのように、心の視界に入っては消えるのだ。

 

よく、外見と中身を全く別のものとして論じる人がいる。

それらは相互に影響し合いながら循環し

そんな人間的歯車の中で

美しさが一寸ひかるのだろうと思う。

 

人生において自分に自信がある時期は、派手な服を着るかもしれない。

逆に派手な服を着ると、なんだか気持ちまで高揚してくるのかもしれない。

 

ほんの一例ではあるが

外見と中身は分断して論ずることはナンセンスなのだ。

 

そうした美しさの循環を促進してくれる、またその歯車の一部となって回り続けている服、、、、

 

一度、それを、捨てて見ます。

 

 

2020

 

 

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次回からは裸族になっていきます。その瞬間を文字に起こしました。

 

u-1999.hatenablog.com

 私が童貞を喪失する話にも触れています。↑