全裸心境資料〜2日目〜
以下記したのは、1週間全裸生活を実験的に始めた被験者の2
日目の心境である。
2020年5月17日 日曜日 天気:曇り
人間の適応能力とはそこしれないものである。
全裸歴2日目にして、私はすっかり慣れきってしまっていた。
そもそも私の目ん玉は前方を見るようについている。
私が見ている景色は今までとなんら変わらないのだ。
今までのように服を着た人類はテレビで大声を出しているし、大好きな納豆は30回混ぜてやることで色気のある表情をこちらへ向ける。
この開放感、2日目にしても色あせることはなかった。
ジェットコースターの頂上で天に手をかざし、発狂するあの感覚。
冷徹な顔のコンクリートに卵をぶちまけるあの感覚。
初めてふかふかの芝生で前転をしたあの時の感覚。
汚れのない一面の柔らかい雪に、足跡をつけるあの感覚。
それらが永続的に続いていた。
1週間とは言わない、1日だけでも人類は一度服を捨てるべきである。
人類が裸で過ごすようになる日も近い。
裸もファッションになる。毛の生やしかたで周りと差をつける日がくる。
とはいえ、開放感とともに
初日以上の羞恥心も自らの中で発見したことを、ここで告白しなければいけない。
その原因は皮肉にも「慣れ」であった。
初日は自らが全裸であることを常に意識していた。
頭の中でも一挙一動、全裸である自分が動いていた。
しかし、二日目にはその気持ちは薄れてしまっていたのだ。
当たり前のように流れる時間の中で、ふと自分の体を見たときに
自分以外は知っている事実を、自分だけが知らされていないかのような
そんな不思議な羞恥心に駆られるのであった。
(小学校のころ、ズボンのチャックが空いていることを私以外全員が知っているが、自らだけが知らなかった、あの時の感覚である。)
5月17日、この日は高校の時の友達が支援に来てくれることとなっていた。
※支援については前のブログを参照
ひもねすラグビーをしている、分厚い男である。
「競馬に負けたらいけへんわ〜」
と言われ、全裸でもないマスクをつけた馬に予定を奪われることが非常に嫌だった。
せめて全裸で戦えよ、と思った。
彼の選んだ、全裸じゃない馬はいい走りをした。
車で中華鍋を持って現れた友人は、清々しい顔をしていた。
性善説を初っ端から信じそうな顔である。
ちなみにうちはIHなので中華鍋は使えなかった。
とびきり美味い焼き飯の作り方を教えてもらい、食卓を囲んだ。
とにかく焼き飯はあったかかった。
無意識の中に恥ずかしさもあってか、中高男子校で私の裸を見飽きたのか
彼は何も言わなかった。
帰宅後、違和感はなかった。
とだけ投稿されている彼のSNSをみた。
2020
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