我が素晴らしき人生

「突然全裸生活」など刺激的な日々を提供いたします。

全裸心境資料〜7日目〜

以下記したのは、1週間全裸生活を実験的に始めた被験者の7日目の心境である。

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2020年5月22日 金曜日 天気:晴れのち曇り

 

気がつけば、アマチュア裸族だった時に感じていた

大気が全身を通り抜けていくような、少し肌寒いあの感覚はなくなっていた。

 

雨が上がり、少し天窓からのぞく日差しが

何より7畳一間の部屋と外の世界とのつながりを感じさせた。

 

ついに最終日。

ベッドで体も起こさず、天井に目線をやり、ボーッとしていた。

 

最終日と聞き初めに頭をよぎったのは、皮肉にも

「外に、でれる!!」

というものであった。

 

6日間×24時間、本当に一切の布を身体に寄せ付けずに生活してきた。

あとたったの24時間で全裸生活が終わる。

 

時計の針が、誰にも気づかれることなく

ほんの少しだけ震え、0時をまわったとき。

 

私は果たして服を着るのであろうか。

服はまだ生活の自明の存在なのだろうか。

 

例のごとく、私は全裸で眼鏡をかけ

几帳面そうにメモ帳の向きを整えながらそんな思索に耽っていた。

 

服とは、文化である。

文化とは生活を豊かにするために改良を加えられてきた過程でできた様式および表現である。

 

服は人類の理想を実現していく精神活動が、形を帯びたものだと思う。

 

そんな文化を、文字通り1週間脱ぎ去り

私は皮肉にも人類の理想に触れた気さえもしていた。

 

そんななか、私がこれからの家での生活で、果たして服を手に取るのか。

私は一人の服好きとして、一抹の不安さえ感じていた。

 

 

この日は祝い酒として酒を飲み、0時の瞬間を待つことにした。

 

私の心中は、なんだか年越しを待つ気分に似ていた。

こたつに足をねじ込みテレビの音をBGMに、たわいも無い会話をする。

 

特に世界の何が変わるわけでもないのに、何をそんなに私たちは楽しそうに待っているのだろうか。

その何にも裏打ちされない高揚感が私は好きだった。

 

酒を飲んでいる時、気づけば私は

はじめに感じていた羞恥心について思いをめぐらしていた。

 

自らの毛のトラウマからくる羞恥心。

※詳しくは前のブログを参照ください。

 

たった1週間でそういった羞恥心はほとんど消えていた。毛に対して

「セクシーだな、お前。」

とまで思うようになっていた。

 

あの時、あの瞬間に、服を脱いだ時に

羞恥心も丸ごと脱ぎ去ったのかもしれない。

 

酒が身体中を走り回り、気がつけばなんとも言えない幸福な気分に浸っていた。

コップから滴る水滴は、全裸がゆえに毎度私を驚かせた。

 

0時は意外とあっけなく過ぎた。

昔からそうだった、時計の針は私たちの気持ちを汲んではくれない。

 

一応、あっさりしたカウントダウンはしていた。

6、5、4、3、2、1、、、、、

 

 

服をもう一度着るのだろうか、そんな不安を抱いていた私であったが

0時を過ぎ、間髪入れずに手を伸ばしたのは

大好きでたまらない洋服が入っている引き出しであった。

 

ただの無機質な白い衣装ケースが、虹色の宝箱に姿を変えていた。

私の手は見方によっては乱暴なほどに動き、ブラックホールに引き込まれるように引き出しを漁っていた。

 

気持ちを美しく、強く、そして何より軽くしてくれる洋服は

なんだかずっしりと重かった。

 

 

2020

 

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次回は裸族が服と出会う場面を描いています。

 

u-1999.hatenablog.com

 

 裸族になる前に服に対して抱いていた感情も合わせてご覧ください。 

u-1999.hatenablog.com

 さあ、ついに成人男性が服を着ます。