裸族が服と出会う話
1週間、完全に全裸だった人間が、服を着る瞬間
を具に記していこう。
読者登録をしてくださっている方、本当にありがとうございます。
最近、新しく私の記事を読んでくださる方も、ありがたいことに増えてきたので
少し、私が全裸になったきっかけから話していきます!
私は神の声を聞いて全裸生活を始めることとなった。
「そこに光あれ!お前は全裸なれ!」
(神様もなかなかのすけべである。)
衣食住を1つでも欠いては人間は生活が営めない。
そんなことを自明のように語る人間がいた。
そう聞いたら、私はいても立ってもいられなくなり
本当にそうなのか検証するために1週間全裸になることにした。
思いたった心情、いざ全裸になり’童貞’を喪失する瞬間、少し卑猥な裸族あるある、1週間の心情は過去のブログを遡って見てほしい。
(まずはこの2つの記事からどうぞ!)
こうして1週間、約10000分間。
ただの1つもタオルケットなどの布を引き寄せず生活した私はついにその期間を終えた。
気分はさながら囚人であった。
裸ゆえに外にでれず、カーテンさえ開けることのできない生活。
私の7畳1間の部屋は、気づけば独房へと姿を変えていた。
服という存在が当たり前ではなくなった1週間ののち
私は果たして服を着るのだろうか。
そんな不安をよそに、私の手は終了の時刻と同時に服に手を伸ばしていた。
服を手に取った瞬間、本気で「重いな。」と思った。
無論、服はオーダーメイドでなく、既製品として売り出されることが主体となってきた
歴史の中で、デザインはさることながら、機能面においてめざましい発展を遂げてきた。
そんな中で軽量化も同時にすすめられてきたはずの服が、ひどく重く感じたのだ。
まずは、パンツを履いた。
トランクスである。
それでもひどく締め付けられている感覚があった。特に腰回り。パンツのゴムが拷問器具に思えた。
そして大事な部分だけ風が当たらないことにひどく違和感を感じた。
いつもに比べ、こいつが大人しくなっているのを感じた。
そこからズボンを履いた。
ストレートのスラックスである。
このズボンの履き心地は最高であった。何か肌に滑らかなものが通り過ぎ、その直後に、安心感が現れた。素材の問題もあるのであろう。
バーバリーが、まだ今の字体になっていない時代のものである。
最後にtシャツである。
これが想像を絶する最悪さであった。
服がこれでもかと体にへばりついてくる。
お風呂の中でずっと服を着ているあの感覚だ。
(私は非日常感が好きでたまにします。)
自らを何かに押し込めるような、作為的な圧力。
出してと叫ぶ、細胞の合唱。
そんなものを感じたのは初めてであった。
さらに動こうとすると、チクチクが止まらなかった。
もしかすると小学生の時
「好きな人を言わないでね、もし言ったら針千本飲ます。」
と言われた’あの針’が今きているのかもしれない。
服を選ぶ基準として、私は
①その服の持つストーリー
→ブランドならば、そのコンセプトやデザイナーの人生。ヴィンテージならば年代や背景にあるもの。などなど
②デザイン性
→自分の体型にしっくりくるフォルム、作りたい形。
の2つを重視していたが、ここに着心地が追加された瞬間であった。
ベランダに駆け足で出ていき、ピンク・フロイドをたれ流し
「服を着て」タバコを吸った。
久しぶりに見る外の世界は、なんだかよそよそしかった。
少しばかり顔を覗かせていた月は、なんだか物足りなく感じた。
しかしそれ以上に
外に出ることのできた感動が襲ってきていた。
開放感をさらに味わい尽くすために
ベランダから、7畳一間の部屋を走り抜け、靴を雑にはきながら
転げるように私は外へと出た。
資本主義社会への風刺をきかせたピンク・フロイドが流れる、小さな携帯だけを持って
私は道路に大の字で寝た。
目をつぶり、風を感じた。
遠くの方で、道路をただ照らし続ける信号の色が光っているのを感じた。
まぶたがチカチカと点滅している。
麻薬をやるというのはこんな感じなのだろうか。
風に包まれ、風に拒絶されているのを感じた。
満喫したあとに、ポストを見ると支援として送ってもらったラーメンが届いていた。
2020
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