我が素晴らしき人生

「突然全裸生活」など刺激的な日々を提供いたします。

全裸心境資料〜5日目〜

以下記したのは、1週間全裸生活を実験的に始めた被験者の5日目の心境である。

f:id:U_1999:20200519110859p:plain

2020年5月20日 水曜日 天気:晴れのち曇り

 

この日は精神的に、最も全裸に動じなかった日である。

(もしかしたらウェポンの揺れもいつもより小さかったかもしれない。)

 

朝起きて、少し薄暗い部屋の中

裸で津軽三味線を弾いた。

 

津軽三味線は、実は歴史の浅い楽器である。

簡単になりたちを紹介すると

伴奏としての細棹の三味線(いわゆる三味線)から、独奏のために、よりちから強い音を出すために生まれた楽器だ。

 

つまりものすごく、ずっしり重量感があり、飛び道具のように鋭い音がでる。

 

中学2年の頃にバンドブームが襲来。皆が夢とギターを抱いていた頃、、、

眼に余るほど尖っていた私 は 津軽三味線を選んだ。

 

風を切るような手の動き、物理的に大きな衝撃音、たまに魅せる桜が一気に散るかのような、強者のみせる寂しげな表情。

 

それらに完全に魅せられてしまったのだ。

 

そこから年月は流れ、かれこれ6年ほど三味線を弾いているが

全裸で弾いたのはこれが初めてであった。

 

弾き始めるまでは、なんだか恥ずかしくて同じく裸の三味線を見れなかった。

お互い裸で何かこれからイケないことをしちゃうみたいだ、、、

 

事後にいつも丁寧に拭いてあげているその身体は、なんだかいつもより艶々しかった。

そっとその体を持ち上げ、耳を押し付け調弦をした。

調弦をしている時間は、いわゆる愛を育む時間だ、決して焦ってはいけない。

はやる気持ちをあえて落ち着かせながら、ゆっくりと波長を合わせた、、、

 

いざ弾き始めると、生の本当の音を肌で本当に感じた。

 

裸にならなければ気づけなかったその音は、今までの観念上の音よりもゴツゴツしていて

肌触りは荒々しい岩肌のようだった。

 

そして繊細な音は、泣いているかのようだった。

 

 

弾き終わってからは、宗教についての本を読んだ。

 

今は5大宗教に関しての興味が強く、しこしこ学習している。

 

全裸で眼鏡だけを几帳面そうにかけて、宗教について学んでいるのは

ちゃんちゃらおかしな話である。

服だけじゃなく、何か大事なものまで脱いでしまったようだ。

 

仏教に関して、面白いことを知った。

 

今ではとてつもなく崇拝されている釈迦は、若き頃に

宮廷で女遊びの激しい日々を過ごしたそうだ。

(釈迦はその快楽を活かし苦行との中道を見つけ悟った)

 

「なんだ、釈迦も人間じゃん笑」

と7畳1間の下宿先に私の声が漏れた。

 

なんだかそこから、急に釈迦に親近感が湧いた。

釈迦、今何してるんだろ。ライン返ってくるかな。

アイスとか買って来てほしいな。

 

私は中高男子校の男である。6年間男の園で暮らした。

女遊びはもちろん知らないが、釈迦の気持ちを勝手に推測してみることにした。

 

女遊びをするというのは、女性を愛し求めることなのではないのか

 

しかし私はここで悲しい事実に気づいてしまった。

 

何かを愛し求めるという行為が、それ自体が

何かを未だ持っていないということを示しているではないか。

 

そこから浮かび上がって来たのは

悲しいかな、人間の断絶であった

 

人間は生まれながらにして、1つの思考する生き物である。

 

どんなに愛していても、どんなに家族のように思っていても

どんなに心が読めるような気がしても

 

他人と1枚の紙のようにぴったり重なることは、ない。

 

そこには残酷にも必ず断絶があって

それを埋めようとして来た歴史が、行動の歴史なのだろう。

 

好きな人との断絶を埋める行動が、告白なのだろう。

恋人や家族との断絶を埋める行動が、愛の言葉なのかもしれない。

 

 

そして、確実に存在する断絶は何も悲観することはなくて

その断絶がいつもどこかで

ドラマをうんできたのであろう。

 

2020

 最後まで読んでくださって有難う御座いました。

いいねやコメントどしどしお待ちしています!

定期的に更新していくので読者登録もぜひお願いします!

 

いよいよ長いようで長い1週間が幕を閉じようとしています。 

 

 

u-1999.hatenablog.com

 

よければ、裸族の終わりまで心境をなぞっていってください。