我が素晴らしき人生

「突然全裸生活」など刺激的な日々を提供いたします。

裸族になる瞬間をおさめた。

私は、人生で2度、童貞を失った。

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苦し紛れの一手

今回のブログは1週間全裸生活をしようと思った京大生の、裸族になる瞬間を描く物語である

(そう至った思考、動機はこちらをご覧ください)

 

u-1999.hatenablog.com

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全裸生活開始時刻の0:00は、風呂場で迎えた。

 

こんなにも全裸生活について意識していたのにも関わらず

私は風呂場に行く際に、今日のパジャマを選んでいた。

人間の習慣とは恐ろしいものである。

 

いつしか習慣は無意識にまで落とし込まれ、自らの行動に入り込む。

行動によって思考の型も何かしら影響を受けるだろう。

 

正直、開始時刻を風呂場で過ごしたのは

平然といままでの生活の中に全裸を組み込むための苦し紛れの一手であった。

 

 

なんだろうか、この感じは。

シャワーを浴びている時の私の感覚は、童貞を捨てる日のようであった。

勿論、適切な表現でないことは承知しているが

感覚があまりにも似ている、というより、全くそれと軌を一つにしていた。

 

今までは、放置していても勝手に育っていた期待感

観念が現実という形を帯びてきた瞬間

その足元を崩されて膝をつき、逃げ出そうとする。

 

まさにあの感覚をここで味わったのである。

私はいつもより丁寧に身体を洗った。

 

私はこうして

神のみことばに導かれて

童貞を2度捨てる運びとなった。

 

 

風呂から上がると、誇張なしに

そこは異世界であった。

 

いつものコーヒーのマグカップ

その滑らかな肌とは不釣り合いな、鋭利な牙をこちらに向けていた。

 

ハンガーにかかった数多の服は、あざ笑っているかのように皆こちらを向いていた。

 

正直全裸でいつもの生活空間にいる自分を

かなり”恥ずかしい”と思った。

 

いつもの机に腰掛けると、かなり気分が優れた。

人間の習慣は恐ろしく人を安心させてくれる。

 

思えば、私は全裸でいる時

身体のどこが、あるいは行為のどこが

恥ずかしいのであろうか。

 

全裸=恥ずかしい という方程式は

自明に成り立っているわけではないはずだ。

普段の生活の中では考えたこともなかった疑問が頭をよぎった。

 

 

そうして思索をしているうちに、私は自分の

過去のトラウマと濃密な関係があることに気がついた、、、、

 

2020

 

 

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過去のトラウマについて赤裸々に語りました。

u-1999.hatenablog.com

 意外にもトラウマは、悪ノリからはじまる壮大な物語でした。