我が素晴らしき人生

「突然全裸生活」など刺激的な日々を提供いたします。

20年間監禁していました。

今回は自らの心のトラウマに関して。

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抑圧されていたトラウマ

トラウマに気づいたのは全裸生活を通してである。

(私は現在1週間全裸生活をしている。その動機などは以下をご覧ください)

 

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 家でただ全裸で過ごすだけなのに

ひどく”恥ずかしい”と思った。

果たして、恥ずかしいの奥に何があるのか。何が”いる”のか。

 

私はできるだけ客観的分析を試みた。

 

 

一般的に恥ずかしいと言われるものは

「スタイル」

「デリケートゾーン」

であろうと、頭をはじめによぎった。

 

 

スタイルに関して

個人的に自分の体は好きだ。大好きだ。

服の試着をすると必ず、「足長いですね〜」なんて言われちゃう。

 

セールストークと分かりながらも、そう言われてしまうと

変に意識して爪先立ちで歩いて帰ったりしちゃう。

 

そういう習慣から爪先立ちは結構得意だ。なんなら就活の際、特技で書いてもいい。

「常に爪先立ちをするような向上心があります。」なんて言えそうだ。

 

デリケートゾーンに関して

個人的になんとも思わない。オギャーとこの地球に生まれ落とされて

このかた20年。こいつと歩んできた。家族みたいなものだ。

信頼している。面と向かって言うのは恥ずかしいが、割と好きだ。

 

親に関して、みなさんは「好きかな?嫌いかな?」なんて考えるであろうか。

私は考えない。

いつの間にか当たり前のように一緒にいて、当たり前のように好きで、当たり前のように感謝している。

 

好きかどうかじゃないのだ。こいつはただいるのだ。

 

 

このような具合で私の恥ずかしさは当初の予想とは違い

スタイルやデリケートゾーンからきているわけではないとわかった。

 

では、一体全体。

 

 

告白しよう。

私の場合は「毛」であった。

そう、体毛である。

 

と聞くと、恐ろしく熊のように毛深いのか?と思うかもしれないが、そうではない。

体毛は毛深くもなく、薄いわけでもない。いたって平均的だ。(銭湯調べ)

 

わたしは変な不自然な毛がいくつか存在しているのだ。

なんでかって?

原因は極めて簡単だ。悪ノリである。若気の至りである。

 

時にはすね毛を、時にはお腹の毛を、時には陰毛を、、、

私たちは罰ゲームで剃っていたのだ。

 

全身の右半分だけ毛を全て剃ったこともあった。

 

そうして剃られても頑なに生えてくる体毛たちは、次第に次第に

個性豊かに、色濃く、たくさん

出てきてしまったのだ。

 

これ以上剃られると、絶滅してしまうと”全毛会議”で議題に上がったのだろうか。

今まで生えていなかった、未開拓地にも彼らはいつしか現れた。

流石にそうした体毛たちの奇襲作戦に黙っている私でもなかった。

 

こうして私と体毛の間で

剃るか埋められるか陣地取り戦争

が幕を開けたのであった。

 

穏やかな戦局はいつしか激しさを帯び、長い年月が経ち、たくさんの毛が流れた。

 

 

自らの体で遊ぶなんて今思えば、どうかしている。

ただ好奇心につられるがままの行動であった。

 

結局のところ

私の場合、恥ずかしさはそこにあった。毛にあった。

なんだか気付いたことだけでも、少し毛に愛着が湧いた。

これからはその愛着が吉と出るか凶と出るか、見守っていきたい。

 

みなさんはどうであろうか。トラウマなんてないだろうか。

心にいつしか囚人を監禁していないだろうか。

私は、20年間トラウマという”毛深い”囚人に気づくこともなく過ごしてきた。

全裸という極限状態になりようやく気づくことができた。

トラウマは一言も発さない囚人だったのだ。

 

2020

 

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次回からは実際に心境を日毎に綴っていきます。 

u-1999.hatenablog.com

 裸族村に入りたての男の心境が覗けるのはここだけ!

 

 

 

 

 

裸族になる瞬間をおさめた。

私は、人生で2度、童貞を失った。

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苦し紛れの一手

今回のブログは1週間全裸生活をしようと思った京大生の、裸族になる瞬間を描く物語である

(そう至った思考、動機はこちらをご覧ください)

 

u-1999.hatenablog.com

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全裸生活開始時刻の0:00は、風呂場で迎えた。

 

こんなにも全裸生活について意識していたのにも関わらず

私は風呂場に行く際に、今日のパジャマを選んでいた。

人間の習慣とは恐ろしいものである。

 

いつしか習慣は無意識にまで落とし込まれ、自らの行動に入り込む。

行動によって思考の型も何かしら影響を受けるだろう。

 

正直、開始時刻を風呂場で過ごしたのは

平然といままでの生活の中に全裸を組み込むための苦し紛れの一手であった。

 

 

なんだろうか、この感じは。

シャワーを浴びている時の私の感覚は、童貞を捨てる日のようであった。

勿論、適切な表現でないことは承知しているが

感覚があまりにも似ている、というより、全くそれと軌を一つにしていた。

 

今までは、放置していても勝手に育っていた期待感

観念が現実という形を帯びてきた瞬間

その足元を崩されて膝をつき、逃げ出そうとする。

 

まさにあの感覚をここで味わったのである。

私はいつもより丁寧に身体を洗った。

 

私はこうして

神のみことばに導かれて

童貞を2度捨てる運びとなった。

 

 

風呂から上がると、誇張なしに

そこは異世界であった。

 

いつものコーヒーのマグカップ

その滑らかな肌とは不釣り合いな、鋭利な牙をこちらに向けていた。

 

ハンガーにかかった数多の服は、あざ笑っているかのように皆こちらを向いていた。

 

正直全裸でいつもの生活空間にいる自分を

かなり”恥ずかしい”と思った。

 

いつもの机に腰掛けると、かなり気分が優れた。

人間の習慣は恐ろしく人を安心させてくれる。

 

思えば、私は全裸でいる時

身体のどこが、あるいは行為のどこが

恥ずかしいのであろうか。

 

全裸=恥ずかしい という方程式は

自明に成り立っているわけではないはずだ。

普段の生活の中では考えたこともなかった疑問が頭をよぎった。

 

 

そうして思索をしているうちに、私は自分の

過去のトラウマと濃密な関係があることに気がついた、、、、

 

2020

 

 

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過去のトラウマについて赤裸々に語りました。

u-1999.hatenablog.com

 意外にもトラウマは、悪ノリからはじまる壮大な物語でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

裸族になるために。⑵

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地平線である。

前回のブログでは、1週間全裸生活のための身の回りの準備を書いた。

(そう至った動機などもこの記事にあるのでぜひご覧ください)

 

u-1999.hatenablog.com

 

今回は心の準備である。

 

〜心の準備編〜 

 

自分は今日の0時から1週間裸で過ごす。

正直気分はなんとも形容しがたいものがある。

 

裸族とはよく言ったものである。

今送っている生活を全て全裸で行う人々は、まるっきり育ってきた文化が

違う人々の集団のような気がしてならない。

 

好奇心が絶え間なく動いているが

その好奇心がたまに不安そうな顔をして一寸こちらを覗く

というような気持ちである。

 

 

自分は全裸になるとこに関して自分の身体というよりも

服についてより一層考えた。

 

私は服が大好きである。常日頃、服という思考を挟まずに物事を見れないほどだ。

服について考えると、なんだか泣きそうになる時もある。

 

服の持つ質量的な重さよりも、私にとって服は重くずっしりとしたものなのである。

 

自らの文字通りシェルターの役割も果たしながら

自らの表現の媒体でもあるという

その1つの存在ながら対局的要素を持つ服は魅力的である。

 

そんな揺れ動く境界線を、悠然と歩く服を、わたしは見ていた。

 

自分という存在と外界との間に存在している、掴めそうで、結局掴めない。

風に身を委ねるスカートのように、心の視界に入っては消えるのだ。

 

よく、外見と中身を全く別のものとして論じる人がいる。

それらは相互に影響し合いながら循環し

そんな人間的歯車の中で

美しさが一寸ひかるのだろうと思う。

 

人生において自分に自信がある時期は、派手な服を着るかもしれない。

逆に派手な服を着ると、なんだか気持ちまで高揚してくるのかもしれない。

 

ほんの一例ではあるが

外見と中身は分断して論ずることはナンセンスなのだ。

 

そうした美しさの循環を促進してくれる、またその歯車の一部となって回り続けている服、、、、

 

一度、それを、捨てて見ます。

 

 

2020

 

 

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次回からは裸族になっていきます。その瞬間を文字に起こしました。

 

u-1999.hatenablog.com

 私が童貞を喪失する話にも触れています。↑

 

 

 

裸族になるために。⑴

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コロナくん

今回は裸族で1週間過ごすことに決めた京大生の準備編である。

(そこまでの流れはこちらの記事をご覧ください!)

 

u-1999.hatenablog.com

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〜身の回りの準備編〜

コロナにはこの面では多大なる感謝を述べたい。裸で過ごしやすい期間である。

 

早速、自らの生活のサイクルを朝から再生して裸でも大丈夫かを確認する。

 

裸で起きる、鏡に挨拶をして歯を磨き、朝飯を食べる。

ここまでは海外ドラマの敏腕刑事みたいで最高にクールだ。

コーヒー片手にスクランブルエッグまで食べちゃうかもしれない。

 

海外ドラマならここで銃撃戦が始まるが、その心配はない。

突然やってくるのはテロリストではなくて、宅急便だ。

 

申し訳ないがここは居候達に出てもらおう。不在時は扉からホラー映画のように腕だけを出す。

 

この時ぐらい何か羽織って出れば良いものだが

私は変に完璧主義なのである。

裸で1週間といえば布1枚も引き寄せない覚悟がある。

 

なぜ「変に」完璧主義なのかといえば、結果的にプラスでない時もあるからだ。

例えば受験勉強を例に出そう。

世界史を勉強する際に、普通は今日は古代オリエントまで、明日はイスラーム世界をして、明後日は、、、という風に勉強するものだと思う。

 

私は毎回テキストを開いて

一番はじめのアウストラロピテクスから勉強していた。

 

おかげでめちゃくちゃ猿人や原人に詳しい。勢い余って奴らの洞窟とかも詳しい。

 

だが結果的にはマイナスに働く完璧主義なのであった。

 

話を戻そう。

 

昼飯、夜飯、読書、ネットサーフィン、楽器については乗り切れる。

 

変態インテリの構図になる読書に比べて、津軽三味線はどうだ。

裸になることで、荒々しい中でか弱い繊細な音が出せそうである。

 

残るは2つの大きな問題である。1つ目は

 

・外にでれず、買い物ができない。

出れるっちゃ出れるけどな。と言いかけて

自らの奥底に眠るサイコパスさに震えちゃった。

 

流石に捕まっちゃうので、手を打つことにした。

友人からの差し入れである。

全裸で冷えてしまった体もあたたまるであろう友人の愛を受け取りたい。

私はインスタのストーリーで募集をかけることにした。

こんな私を受け入れてくれる友人に感謝である。

 

 

2つ目が何よりも鬼門である。

・オンライン授業に出席(カメラ付き)

みんなが先生の言葉に耳を研ぎ澄ましている中

裸の私が、メガネだけはしっかりかけ、出席するのは阿呆というやつだ。

 

カメラのアングルに気をつけていても、ちょっとでも気を抜けば前科者になってしまう。

欠席者が録画の授業動画を見ていて、私の”オレ”が写っていたら本当に笑えない。

 

私がたどり着いた解決策はこうだ。

股のところで教科書を開く。

はい、これで完璧である。

無理やり問題点をあげるとするならば

教科書に私の”オレ”がついてしまうことぐらいである。

 

みんな、教科書忘れた時は気軽に声をかけてね!

 

2020

 

 

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準備編②に続きます。

 

u-1999.hatenablog.com

 こちらは心の準備編になっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

全裸の道もチャックから

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ボタンフライの方が好きです。

まずは裸で1週間過ごそう。

 

多分人生で死ぬまで2度と言わないようなセリフだけど、この時は本当に声に出してそう言った。

 

(思い立った動機はこの記事をご覧ください!)
u-1999.hatenablog.com

 

私は思い立てば居ても立ってもいられない性分である。

もうすでにこの時点で上半身は脱ぎ終わっていたが、あいにく翌日の昼に友人の紹介で初対面の人と会う予定が入っていることを思い出した。

 

友人のみならば意に介しない私ではあるが

さすがに生まれたままの姿でニコヤカに「はじめまして✨」は前科がつく。

日本の警察はかなり優秀なのである。

 

期間は5/15 0:00〜5/22 0:00までのまるまる1週間と定めた。

裸での生活を始めるにあたって、少し調べてみることとした。

 

検索ワードはもちろん『裸族 メリット デメリット』である。

おそらく今後の人生で二度とは調べないワードであろう。

こんな検索があったぞ!と、Google本社で話題になっているかもしれない。

 

メリット

1、ストレスフリー 

→男ならわかる。”あいつ”のポジションをもう気にしなくてもいいのだ!

 ボランチ?右サイド?ベンチ?どこでも行きやがれ!!

2、安眠効果

→オキシトンという何かが分泌されて、満足感と幸福感があるらしい。なんだかエッチだ。

 オキシトン。響きがいいね。オキシトン、一家に1台欲しい。

3、ダイエット効果

→自分の体を意識するらしい

4、美容効果

メラトニンというやつが分泌されるらしい。メラトニン。ちょっとあからさまに響きがエッ

 チで逆に興醒めというやつだ。

5、精力アップ(男)

→生まれてきてよかった。

 

デメリット

1、急に服着る時に困る

→UBEREATSのバイト界隈で有名になりたくない。裸の家とかあだ名つけられたくない。

2、体が冷えやすい

→お腹が元から弱いので、確実に下す。下してからが勝負。

3、カーテンは閉める

→一風変わった性癖に「おはよう✨」と言われないためにも必ず。

4、シーツはこまめに洗う

→清潔が一番。

5、料理は危ない

→毎日が根性焼きの生活になりそう。

 

少し調べて見ると、全く知らない世界が一面に広がっていた。

皆さんもこういう経験はお持ちであろう。

私も、ルービックキューブや3Dモデリング、タバコ、三味線、、、などなどについて

感じることがあったので、また折を見てページを割いて行こうと思う。

 

正直ここまで調べてきて

生活の要素を1つ欠く不安と好奇心が混ざり、濁っていた酸っぱい感情

は完全に高揚感に変わっていたことを告白しなければいけない。

良いことづくめじゃないか!!!

 

しかし。その刹那、1番の懸念材料が頭をもたげてきた。

居候達の存在である。友達が常に裸ってめちゃくちゃ嫌じゃないか??

 

「私の友達、これから1週間は裸らしい〜」

 

なんて台詞は聞いたことがない。正直そんなやついたら引いてしまう。

 

しかし私は神のお告げを聞いたのだ。

「光あれ、お前は全裸なれ!」

 

神の御言葉に逆らうわけにはいかないのだ。もちうる全ての勇気を持って聞いてみた。

 

予想とは裏腹に「面白そう、良いよ」と返ってきた。

頼んでる身分でありながら、こいつヤバイなと思った。

これからはこいつらの前で、身体だけじゃなく心も裸でいることになりそうだという予感がしていた。

 

2020

 

 

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次回以降の記事、早速準備に取り掛かります。

 

身の回りの準備編

u-1999.hatenablog.com

 

心の準備編

u-1999.hatenablog.com

 

 2つあわせてお楽しみください!

 

 

 

 

 

 

 

神「光あれ!お前は全裸なれ!」

多分やねんけど、神の声を聞きました。

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このブログは京大生の刺激的な日々をお送りするブログです。

 

コロナ自粛中は、大学の授業が全てオンライン授業に切り替わっている。

通常の授業時間に、音声付きの動画を見て勉強をしようということらしい。

 

私はなんだが授業の音声だけに耳をジャックされる感覚が嫌だったために、ビルエヴァンスを流しながら受講していた。

完全なるイキリから聴きはじめたジャズはいつしか私の生活の一部になっていた。

確か哲学系の授業であったと思う。窓を開け放ち、春の装いをしながらも、少しばかり柔らかさを失った風に、無防備に身体をさらし聞いていた。すると

 

「衣食住は生活の基本であり、欠けると生きていけません。」

 

という話が耳に飛び込んできた。その瞬間

爆発音が体内に響き渡るような、何か稲妻に打たれたような興奮が身体中を走り回った。

 

冗談抜きに、神の声を聞くというのはこういうことかと思った。

 

雑多な生活音、音楽などが入り乱れている中でこの音声だけが、まるで耳元で叫ぶかのように聞こえたのだ。

(こういうたくさんの音の中で興味があるような内容だけが鮮明に聞こえるような現象をカクテルパーティー効果というらしい。)

 

私はオギャーと産み落とされた瞬間からあまのじゃくな性分であった。

 

小学校の土器を作る授業では便器を作り

皆がギターをはじめたがる時期には三味線を握った。

 

そんな私は今回に至っても、反抗的な衝動が生まれた。

生きていけない?試してみようじゃないか。

 

早速、実施する期間を1週間に定めた。

キリスト教の神が世界を6日で作り1日休んだそうだ。

それからというもの、私たちは1週間をサイクルに動いている。

つまり1週間生活できれば、帰納的に考えれば生活を営めると考えたのだ。

 

・裸で1週間過ごす

・断食を1週間する

・住居なし1週間経験

 

細かいルールは後々定めるとして、私はこのプロジェクトに取り組むことにした。

それぞれについて1週間の中での心境の変化を書き記して生きたいと思う。

もちろん、大前提として今までと変わらない生活を営むことができてはじめて成功である。

 

2020.5/14

 

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まずは服を脱ぐことにしました。

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